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ロシヤ・シベリアの旅⑥イルクーツク

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6月9日(日)

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ロシア・シベリアの旅⑤イルクーツク

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9月8日(土)

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ロシア・シベリアの旅④ウランウデ

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9月7日(金)

ウラン・ウデはバイカル湖の東南、、モンゴル国境の北側にある。

ブリヤート共和国の首都(人口約43万人)

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512人の日本人が眠っている日本人墓地。合掌

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ウランウデからイルクーツクに向かうシベリア鉄道の列車

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ウランウデでの3日間ガイドしてくれたトウヤナさん。ありがとうござ

いました。

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列車の中、さまざまな外国の人と出会いました。

隣の部屋のロシア人と身振り手振りで、列車の旅を楽しみました。

シベリア鉄道の乗務員を4人会いました、紳士・淑女の凛々しい人たちと

「乗せてやるよ」という年配のおばさんが私たちをサポートしてくれました。

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シベリア鉄道に乗って広大なバイカル湖を見続けました。

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「あこがれのシベリア鉄道の旅」

車窓から見続けたバイカル湖に沈む太陽。

左側の車窓からはカラマツ(高さ約40m)、白樺の連続だ。

ロシア・シベリアの旅③ウランウデ

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ハバロフスク〜ウランウデ空港

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9月6日(木) ウランウデ

 ハバロフスクを夜中2時半のヤクート航空飛行機でフライト

する予定が早朝5時過ぎになってしまった。

ウランウデのホテルに着いたのは、朝8時すぎ。

周辺国の時刻は、ソウルは9時すぎ、ウランバートルは同じ朝8時

すぎ、日本は朝7時すぎです。ハバロフスクからウランウデまでの時差

は2時間です。

ウランウデは、ブリヤート共和国の首都です。

人の顔が日本人とよく似ています。

ブリアート共和国の気温は11度。晩秋のようです。

街を走っている車は、ハバロフスクと同じトヨタ車(新車も中古車?)が

多いです。

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ウランウデのホテルに着くと、各国の時計はこんな感じです。

ホテルのWiFiをひろって、日本のうごきを見ると北海道で

震度6強のひどい災害がおきているというのを知りました。

地震・台風・ゲリラ豪雨が多発して、本当におかしいですね。

亡くなられた方々に黙とうしました。

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  ホテルから撮ったウランウデの街並み

ウランウデもハバロフスクも道路がひび割れていたり、側溝がなく

駐車上は道路上になっており、インフラ整備が必要だな感じた。

 ニューヨークも道路に駐車場がなく、掃除が行き届いて

いない。人口は約100万人とのこと。

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 ロシアに来ているのにモンゴルみたいな異色の町だ。

びっくりした。ソビエト広場にレーニンの頭だけの像がデーンと

置かれている。 そういえばレーニン夫人のクルプスカヤ

の像もどこかにあった。

 周囲は、官公庁に囲まれている。

ソビエト広場からレーニン通り、ソビエト通りの大きな道がある。

二つの道路筋には、オペラ・バレエ劇場、凱旋門、歩行者天国も

一部あり、まさに町の中心点だ。

ウランウデというのはブリヤート人という小数民族の共和国で言語

も地理もモンゴルのほうが近い。

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ロシアのチベット仏教総本山のイヴォルギンスキー・ダツァン

ロシアで一番古い寺である。

ウランウデは、宗教ではロシア正教徒・チベット仏教徒などが多い。

マニ車があったので、おもわずクルクルくるくると回しました。

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僧侶があたたかく迎えてくれる。どうです、日本人とよく似ています。

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ここには、即身仏がおられ、250ルーブル(約500円)

だして,拝観しました。

僧侶イチゲロフは70年たてば掘り起こすようにと伝え

松の木の箱に入り、土の中に埋めてもらったそうです。

70年後、掘り出すと、肌はやわらか、手は握り返して

くるようでいきているようです。

今も腐らず、汗を流すこともあるそうです。

貴重な体験をさせていただきました。

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マイクロバスで移動しているとモンゴルと同じ大草原が

あらわれる。そしてポツンポツンと村が見える。

どんな生活なんだろう。

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今夜のホテルに帰るとき、ちょうどシベリア鉄道の上を通って

帰るといわれたので、急きょバスを止めてもらってシベリア鉄道

の線路からの風景を楽しみました。

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毎晩、ワイワイ・ガヤガヤと生ビールとウォッカ、バーボンを

いただき東シベリアの夜を楽しみました。

ロシア・シベリアの旅②ハバロフスク

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9月5日(水)

今日は一日ハバロフスク観光と慰問。

ホテルからの窓ををみると、天気は小雨、気温は17度。

窓からはアムール川がとうとうと流れている。街並みをみると

やはりロシアに来ているのだと実感。建物が日本とまったく違う。 

 ハバロフスク最初の訪問は、ヨーロッパ風のロシア正教会(キリスト

系の一つ)のウスペンスキー協会でハバロフスクでは著名な教会

のひとつで、立派としか表現できない。

世界的に正教会がある。ここでは市民の90%が正教会の人たち

らしい。教会の中は、撮影禁止。残念。

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 ハバロフスクでの現地ガイドのエレナさん。2児のママさん。

今回の旅仲間は、男性6人女性6人ですが、女性陣含めてみなさん

「ロシア美人」やな〜とのこと。私も記念写真を撮らせていただきました。

この建物は郷土史博物館。マンモスの牙、古代先住民の生活様式など

展示されている。

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スパソ・ブレオブラジェンスキー大聖堂。

金色の玉ねぎ形の屋根と白い壁がマッチングしている。

高さ70mで、極東ロシアで最も大きい協会である。

ハバロフスクのランドマークの一つである。

昼食には

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スープはボルシチd定番中の定番である。

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食後は、ハバロフスク第一に大きいアムール川へ。

アムール川を横断するシベリア鉄道だ。

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 川の色は、黄河と同じである。私たちは、アムール川の

ミニクルーズを行いました。

船の中央の旗は、ロシア国旗である。ロシアの国旗が船首に掲げて

いる。旗の色の白は高貴さと開放性、青は誠実さと純潔さ、赤は勇気

と寛大さと愛を象徴するという説もあるが公式なものはない。

アムール川は、冬には凍結しトラックが通過するらしい。

そして、その氷塊は海に流れ出し、知床半島にやってくるの

と説明がありました。

地図を見ると、アムール川の上流には、中国の黒竜江、モンゴル

高原からはるばる流れ出しオホーツ海に流れ出している。 

 壮大な自然に感激。

自由市場にも行きました。

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私は、ここでチーズ(縦15Cm横20Cm)を買いました。

見本のチーズを食べると、おいしい香りに即買いました。

仲間たちは、「はちみつ」がおいしく安いよと気前よく買われて

いました。活気がありましたね。

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ハバロフスクある日本人墓地です

 今も、多くの花が各地の強制収容所近くの墓地に添えられている。

私たちも「花」を持っていきました。

病気などで亡くなった人は、そのまま土葬されそのあとが上記写真

です。

 「シベリア抑留」は、第二次世界大戦の終戦後、旧満州などで日本軍・

国民などをシベリアなどへ労働力として、移送隔離され奴隷的強制的

働をしいられたことの日本側の呼称です。

冬はマイナス25〜50度ぐらいの極寒、貧しい食事で多くの多くの人が

病気になり亡くなっていきました。

収容所は、各地に約700点在し同じような環境でした。

スターリンによる旧ソ連によって抑留された日本人は約57・5万人を超

え、約5万5千人が死亡した。

そして、この「シベリア抑留」は今なお、多くの抑留者関係が、人道主義・

賃金未払いなどでたたかっている。

 「ソ連軍に対する瀬島(龍三)参謀起案陳情書」では、日本の兵士が

帰還するまでは「極力貴軍(旧ソ連)の経営に協力する如(ごと)く御使

い願いたいと思います」と書かれています。関東軍参謀(瀬島龍三参謀

等)による「50万人捕虜」は、瀬島らの戦後処理の提言でもあったといわ

れている。

戦後、瀬島龍三は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多く

の要職に就任したことは、よく知られている。

また「天皇制の国体護持」も提案されていた人物もいました

  旧関東軍によってシベリア鉄道の支線建設や農民開拓団など多くの

日本人が強制労働され、このシベリアに眠っているお墓に訪問すると、

満州国に行った人や、その上シベリアに抑留され、何重もの犠牲を強い

られ、当時の日本軍部の狂気さがうかがえる。

その上、現在を見ると、安倍総理の行動は、戦前の軍部を連想させる。

絶対戦争させてはならない。日本人墓地をまいりながら心に誓った。

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夕食の会場のランプキャンドル

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        ハバロフスク最後の夜、全員集合

ロシア・シベリアの旅①ハバロフスク

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 シベリア鉄道からみたバイカル湖のサンセット

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9月4日(火)

 今から、初めてのロシア訪問が始まろうとしている。

しかし最初から台風の洗礼を受けた。9月3日(日)には、成田空港

近くで待機しておくという最初の計画変更が迫られた。

成田空港からハバロフスク((極東ロシア)と呼ぶ)に向かう飛行機は

4日(火)午後2時35分のフライトで予定より少し遅れた。

しかし、その時刻、関西空港をはじめ全国各地で災害が発生した。

私の友人は、同日関空から出発し中国に向かう予定が中止になった

というSMSが入ってきた。

 約5時間かけてハバロフスク空港に着いた。すぐ携帯で日本の被害

状況をさがした。

関西空港の滑走路が水没している。

 私たちは関西空港が建設されるとき、徐々に沈んでいくので国会でも

府議会でも大きく取り上げたものだ。

それが現実になった。

台風21号で亡くなられた方にはお悔み申し上げ、被災者には

お見舞い申し上げます。

私の家も雨漏り、小物が破損した。

 台風から逃げるように飛び立った私たちが乗るS7航空は、1957年

設立された伝統のある航空会社(首都モスクワやイルクーツクを主な

拠点とするロシア国内線では最大のシェアを占める)である。

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  ロシアで人気の料理、ロシア餃子のべりメリ

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          山菜サラダ

ホテルでの夕食は、午後9時頃から。

最初にロシアの生ビールをごくごく、そしてウォッカとブランデー

と最初の夜から仲間たちと、ワイワイにぎやかに食した。

疲れと酔いがすこし回り、メイン料理がなんだったのか思い出せ

ない。

 

会い変わらず外は小雨だった。ハバロフスクの最初の夜はふけてゆく。

八幡の地蔵盆

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8月19日(日)

八幡市八幡森地域にも、大きなお地蔵さんがあります。

石清水八幡宮の門前町として栄えた八幡森地域では、毎年地蔵盆が

2日間にかけて開催されます。

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地蔵盆では、多くの提灯、飾りつけやお供えがあります。

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 このお地蔵さんは、昔から子供の夜泣きによく効くので「夜泣き

地蔵さん」と呼ばれています。

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 子どもたちには、お菓子や花火がくばわれます。

大人にもお菓子とビールがくばわれ、いろいろとコミュニケーション

がはかれるようになっています。

 私は、84歳の男性から「子供のころからず〜と参加している。昔は

子供がたくさんいて、もっとにぎやかやった」など、いろいろなお話を

聞かせていただきました。

そして、子供による「数珠回し」が行われます。

私の祖母の通夜の時、数珠回しを経験しましたが、地蔵盆では

久しぶりに見ました。疫病祈願、水飢饉、病気を治すなどいろいろな

いわれがありますね。

楽しい一夜をご近所さんと過ごしました。

ことしも原水爆禁止国際会議(2018年)に参加して

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8月2日(木)〜4日(土)

 原水爆禁止2018年世界大会・国際会議が2日から広島市内で

始まりました。

  2日〜4日までが国際会議、4日〜6日までが世界大会です。

私は、今年も国際会議に参加しました。 

 今年は世界から23か国が会議に参加しました。

気温も、国際会議会場の雰囲気も初めから、暑っかったです。

主催者あいさつは、上記写真右上の位置で野口邦和(運営委員会

協同代表)です。

歴史的な核兵器禁止条約の採択から1年たちました。多くの世界が

核兵器のない平和で公正な世界のために、一日も早い条約の発効

を求めています。

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 国際会議では熱気のある報告と討議が続きます。

昨年7月に国連加盟国の6割を超える122ヶ国の賛成により国連で

核兵器禁止条約が採択されました。

核兵器が歴史上初めて違法なものとして明文化されたのです。

核保有国と「日本を含む核の傘依存国」が禁止条約への調印や

批准せざるを得ない状況をつくらなければなりません。

早く条約を発効させ、朝鮮半島の非核化をどのように実現させ

るのかを検討する大切な会議です。

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1945年8月6日朝8時15分、アメリカ軍のB29(エノラ・ゲイ号)が

広島に原子爆弾を落とした。

もう何度も訪問しているが、原爆ドーム(元 広島県産業奨励館)の前

に立つと平和への希求がますます強くなってくる。

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 爆心地点は、原爆ドームから南東約160m、現在の島内科医院

(広島市中区大手町)上空約600mで炸裂した。

この建物の固有名詞は、多くの文書にも展示物にも書かれています。

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この4年間毎年あって、話をきいた韓国のキョレハナ平和研究セン

ターの李 俊揆(イ・ジュンキュ)さんです。

日本語通訳もされていました。会場で会ったときから、双方同時に

手を差し伸べ握手しました。

今年、韓国からは30人の海外代表が会議に参加してることを教え

てくれました。

スゴイです。

韓国のローソク革命(パク・クネ前大統領を平和的市民活動で

退陣させた)は、市民が自主的にソウル・光化門広場や韓国全土

でロウソクの火を明るくてらして退陣めざしてたたかったという。

天候もみぞれが降り寒い中で、ソウル市民150万人、全国で190

万人(主催者発表)が参加したとのこと。

まさに市民の運動で、現職大統領を退陣させた。 

 日本で「戦争法反対・ノー」で国会前活動が毎週金曜日にされた

ことを真似たともいわれているらしい。

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 この人ぬきにアメリカの平和運動は語れない! 2010 年NPT

再検討会議ニューヨーク行動、2015 年 NPT再検討会議 ニュ

ーヨーク行動の準備、アメリカ平和・軍縮・共通安全保障キャン

ペーン議長・アメリカフレンズ奉仕委員会、国際平和ビューロー

副会長など数々の肩書を持っている。

世界を飛び回っているが、なぜか大阪によくやってこられる。

私のブログの中で、アメリカ人で一番多く登場するのがこの人である。

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8月2日〜4日までの国際会議が終了し、議長団を務められた

各国の人々が会議の成功を祝いあっている。

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北海道・沖縄から、全国をあらゆるコースで歩いて平和行進が

取り組まれている。今年も4日午前11頃、平和公園前に行進は

無事ゴールした。今年は行進者の中にも熱中症が出たらしい。

 昨年までは、一触即発であった北朝鮮。オリンピックをはさんで

南北間、米朝間で「平和へのプロセスが始まっている」。一方で

核保有国は抵抗を強めている。

 

 これからももっともっと全世界の人に原爆の恐ろしさを伝え、その

ための手段として「ヒバクシャ国際署名」をコツコツ集めたいと思って

いる。

 

7月に咲いてくれた花・野菜の一部

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2018年7月後半

   大好きな季節、夏本番ですが今年はちょっと異常ですね。

この間、地震の余波、大雨浸水、気温の上昇など異常気象です。

八幡市内で引っ越しするとき、一番に調べたのは地震帯と浸水

発生が多い地域かということでした。

とにかく今年は、暑いです。

写真は、バジルです。イタリア料理を作るときなどよく使います。

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 今年は、大葉が群生。好きな葉物の一つですので、よく食べて

います。

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 なすびもたくさん採れました。

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 キュウリは、朝たくさん水をあげると夕方には一回り大きくなっている。

 小学生のころ、母がおやつによく出してくれたことを思い出す。 

 もちろんトマトもたくさん、採りたてを食べました。 

 井戸があれば、すこし冷やしておくとおいしいことでしょう。

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 秋の花、ススキがもう大きくなってきています。

気温が高いからですね。

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2018年7月後半

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 7月初めの西日本豪雨の後も、ゲリラ豪雨があった。

いま住んでいる場所は、比較的浸水しない地域だそうだ。

でもすぐ近くの大谷川はよく氾濫した。

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その後、排水場の改良など地元市民の声で改良をかさねられ、

今年、八幡市では床上・床下浸水の被害などは発生していない

でも西日本では、西日本豪雨、大阪北部地震、台風12号等で、

いまだに避難所生活されている人がたくさんおられる。

「水を治める者は国を治める」と中国の古人が述べたが、昨今の

地球温暖化の問題も含めて、為政者の責任は大きい。

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串本の洞窟露天風呂に行ってきました。

写真中央の部分に露天風呂があります。

そこからの太平洋の眺めは、素晴らしいものがありました。

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 日の出の瞬間を撮影したかったのですが、ほんのわずか遅れて

しまいました。和歌山県串本は本州最南端です。

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毎日、毎日、畑の草取り・水やりを約1時間ぐらいしています

いっきに汗が身体じゅうから吹き出します。気持ち良い汗です。

今年は、気候の変動が激しく、体調を整えなければいけません。

よい運動になります。

毎朝とった野菜は、本当においしいですね。

 

西日本豪雨で多くの農家が被害を受けました。

この間も福知山市内で被害(床上浸水」の大きかった大江町に

行って激励してきました。

2018年 やわた太鼓祭

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7月15日

 14日・15日、やわた太鼓祭が開催された。

気温は、朝からの35度前後で、熱中症大丈夫かなと不安がよぎる。

 今年は八幡市に引越して初めての神輿に登らせていただきました。

采配しているのが私です。 

 去年は、スルーしたのですが、今年はすこし練習してバッチリ、

テンションがあがりました。

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 私も神輿かつぎをしました。

祭りは楽しいですね〜。

町内ごとに作られた「屋形御輿」が、太鼓を打ち鳴らしながら町内を巡行します。

この神輿、半端じゃないのです。神輿かつぎには青年で20人が最低必要です。

高良神社での「宮入」では各地区の神輿が一堂に集まり夕方7時から

9時過ぎまで続きます。

夜店がいっぱい出て、たくさんの人々で熱気ムンムン。

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「ヨッサー、ヨッサー」の勇ましい掛け声とともに参道を練り歩く姿は

迫力満点です。

みなさん、暑さと神輿の重さでクタクタです。

八幡市の初夏の風物詩ですね〜。

 高良神社は、町内会の氏神さんです。神社の山の上には、国宝の

石清水八幡宮があります。

 来年も、神輿にのぼります!。

49年ぶりに高校恩師と再会

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6月30日(土)午後

 京都市内の女子大学の教会で、私の高校時代の恩師である

中島三千男(元 神奈川大学学長)先生の「天皇の代替わり儀式

・・安倍改憲の下ならしー」と題した記念講演がありました。

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私の高校時代の恩師、中島先生は「来年は後期高齢者」だと言わ

れました。私の高校時代の「日本史」非常勤講師でした。

京都大学大学院生(日本史を専攻)で、何度も京都大学の百万遍に

有る下宿にお伺いしたものです。

今まで、私が習っていた世界観・日本の歴史に対する「認識」を、

大きく変え、その後の人生に大きな影響を与えていただいた先生

です。私が大学生になってからは、いつも下宿で酒を飲みながら

「日本の歴史・人生」を語ってくれました。

49年ぶりの再会に感動です。

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実は、この講演会は京都宗教者平和協議会主催で行われたものです。

前日は、大阪市内で同様の講演会が行われました。

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教会堂での講演は、過去何回か参加しましたが、新しい感慨が

ありました。

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講演会が終了後、京都市内で先生を囲んで懇親会を開催され、

私も招待され参加し、より一層先生との49年の空白をうめることが

できました。

年金者組合八幡支部の総会と記念講演

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6月30日(日)午前中

八幡市内で、年金者組合の総会があり、参加してきました。

いつも誘ってくれる友人は、よく勉強し、社会のうごきの分析

までしています。

写真は、支部長の開会挨拶です。

年金者組合の活動は、①「年金引き下げは憲法違反」の裁判を

全国的に起こしています。②年金の「毎月支給」を要求しています。

③新しい署名であらゆる年代の人々と共同の輪を広げています。

④活動は「楽しみ7分」で仲間を増やしています。

年金者組合の中には、たくさんの「サークル」があります。

私は「碁」の勧誘を受けていますが、今少しその気になれません。

「男の料理づくりと出来上がった料理でちょっと一杯」なんていいな〜

と思っています。

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総会の後、の記念講演は石川啄木(1886~1912)研究の第一

人者の田中礼京大名誉教授で、数多くのしんぶん雑誌の歌壇

選者を務めています。

「石川啄木 没後100年 閉塞に立ち向かう啄木」と題し田中氏は,

啄木が生きた26年間の時代背景、戦争へと向かう時代の中に

ありながら、新しい社会への希望を見出そうと準備していた雑誌

創刊の動きなどについても話しました。

また、啄木は韓国併合や大逆事件、特高警察の創設など国が

戦争へと向かう中で、幸徳秋水ら社会主義者の影響を強く受け、

またロシアの革命家・クロポトキンの著書を愛読するなど、「助け

合いと連帯の思想を内部に築いていった」と述べました。

 24歳で「時代閉塞の現状」を執筆、25歳で雑誌「樹木と果実」

の創刊を決意していたことについて、「啄木は議会選挙を重視し

ていた。

普通選挙同盟会が発足し、平塚らいてうが青鞜を創刊するなど

の中で新しい社会へ青年たちを先導することを目標にする政治

雑誌を作ろうと実行運動を始めたいと思っていたのではないか」と

閉塞の時代を打開しようと動き始めていた啄木を紹介しました。

2018 関西啄木祭

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6月24日(日)

 大阪市内で、関西啄木祭実行員会主催による催しに招かれ、

参加してきました。

 記念講演は、田中礼 京大兄弟名誉教授が「いまを生きる啄木・・

閉塞に立ち向かうもの」でした。

「貧苦・貧苦の連続、病のなかで自己の変革を続けた。そして

26歳の生涯を閉じた。ジャーナリスト・思想家として政府を批判し

科学的社会主義に到達した啄木を継ぐ」と締めくくりました。

会場いっぱいの150名以上の参加者は、石川啄木の生きた時代、

果たした役割など真剣に聞き入っていました。

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実行員会を代表してあいさつする 長野 晃さんです。

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歌唱する人は、男性合唱団「昴」団長の千秋昌弘さんです。

作詞者は石川啄木、作曲者4名の曲を披露しました。

八幡市での「大阪北部地震」の一部

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                         昔からの蔵

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                         新築の家

6月18日(月)の地震

 6月18日午前7時58分ごろ、大阪府北部を震源とするマグニチュード

6・1深さ13kmの地震があり発生しました。

6時半にはおきていましたが、もうそろそろベッドから起きようとしていた

時、床下からどんと突き上げる地震、直下型地震です。

八幡市では観測史上初めての震度5強です。

家の中は、クローゼットがはずれたり、いろいろなものが落下していま

したが、現在のところ、壁に顕著なひび割れなどは見られません。

大阪市北区、大阪・高槻市、枚方市、茨木市、箕面市で震度6弱の

揺れが観測されたのですね。

地震発生後すぐ、何人かの友人・親戚に携帯しましたが、つながった

のは1件だけでした。

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八幡市では、国宝石清水八幡宮の石灯篭40基が倒れたり、お店

の商品がぐちゃぐちゃになったり、壁の倒壊、屋根損壊・瓦の落下

水道水に濁りがあったりと被害が出ました。

まだ、被害の全容はわかりませんが、一部ブルーシートがかけられ

ている家が何件もあり、地震の影響を残しています。Dsc_8716

家屋の損傷では、古い家もあったのですが比較的新しい家も

目立ちました。

八幡市役所からはブルーシート2枚だけもらえるだけですが、国

の激震災害認定や各自治体の独自条例で、少しでも補修のため

の助成ができればと思います。

六甲全山縦走 三分割の一

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6月10日(日)

六甲全山縦走路を3分割し、一番登り降りが厳しい菊水山から麻耶

山を歩いてきました。

写真は、この間役立っているスマートフォンのアプリでみた、私が歩い

た「ふみあと(青線)」です。GPSは便利ですね。

自分自身がいる場所が瞬時にわかるのですから。

 登山口を朝8時42分スタート。菊水山には10時01分、鍋蓋山には

11時08分、麻耶山には14時13分。

台風の影響と雨、私の体力の限界で麻耶山からロープウエイで下山

しました。今回は、もう限界だった〜。

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 写真は麻耶山山頂(高さ702m)です。

雨でカメラが曇っています。

歩いた距離は12・9m、高低差は590m,消費カロリー

は2532Kcalでした。本来の縦走目的は六甲山記念碑台・六甲

ケーブルまでだったのですが、途中でエスケープです。

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菊水山でまずパチリ。右端が私です。左の二人はこの1週間で山に

3回入山したそうです。

リーダーの歩き方(テンポの良さ)にほれぼれしました。

良く鍛えています。

私は、まだまだ運動不足。

最初の急登の難関、菊水山(458m)。

登山口の鵯(ひよどり)越(高さ100m弱)〜菊水山まで一気に300m

の急登です。

第二の急登は麻耶山への約500m高低の2時間の登りが一番の

難関です。

 体力が落ちているのを実感。

再度、体づくりをしなければと感じた山登りでした。

八幡市内で日本共産党演説会

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6月9日(土)

 私の住む八幡市で国政報告会が開催されました。

山下よしき副委員長、倉林明子参院議員、森下よしみ京都府議、

市議候補4人が訴えました。

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 山下よしき党副委員長は「野党連合政権への道を開いて

いこう」と訴えました。

 山下さんを初めて知ったのは30数年でした。

たくましく成長された山下さんの話に感動しました。

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